伝香寺の家宝
本堂重要文化財
天正13年(1585)8月11日 順慶法印一周忌に建立された仏殿。三間四方で、向拝虹梁の錫枝彫、内陣の須弥壇等を除き、殆ど和様の様式を持つ。近世の遺構が余り多くない奈良においては、建立年代の明確な桃山時代の建築物である。
裸形地蔵菩薩立像重要文化財
裸形像として造立されているため、通称「はだか地蔵尊」として、親しまれている。胎内納入品の願文により、安貞2年(1228)の年記が認められ、比丘尼妙法、唯心らによって発願された春日社の本地仏であることが判明した。元、興福寺延寿院の本尊。
十一面観世音菩薩立像重要文化財
地蔵菩薩立像の胎内仏、頭上面より台座までを、白壇の一材から彫成している。小品ながら丁寧な作技ををみせ、時代の特色もうかがわれる。納入の経緯・趣意も明確で、胎内納入仏の諸例中、最も注目すべき作品であるとされる。
碧瑠璃舎利壺重要文化財
地蔵菩薩立像の胎内納入品。レース編みの袋に入れられ、壺中に仏舎利三粒と、薬師如来坐像が納められていた。宋時代の碧瑠璃色も鮮やかなガラス製舎利容器で、東洋的な器作りの形態をなしている。
本尊
釈迦如来坐像奈良市指定文化財光背の★、正面に「なら下御門 宗貞大仏師作」の墨書がある。
豊臣秀吉が発願し、京都方広寺の大仏を完成させたことで名高い椿井仏師「宗貞」の作であることが知られる。更に台座框に「西卯月廿一伝光御云々」とあり、本堂と共に造立されたと考えられる。筒井順慶念持仏
光背の★、正面に「なら下御門 宗貞大仏師作」の墨書がある。
豊臣秀吉が発願し、京都方広寺の大仏を完成させたことで名高い椿井仏師「宗貞」の作であることが知られる。更に台座框に「西卯月廿一伝光御云々」とあり、本堂と共に造立されたと考えられる。南無仏太子像奈良市指定文化財
聖徳太子二歳で、東に向かい合掌して南無仏を称えた姿を写した立像です。当寺像は檜材の寄木造で、玉眼を嵌め、前後二材を寄せ、背面はさらに左右に割矧ぎ、内刳りを施します。体躯は伸びやかで流麗で、顔は一直線の連眉の眥をつり上げる表情が印象的です。胎内に多くの納入品があり、そのうち『法華経』と願文から製作年代と製作者が知られます。
筒井順慶念持仏
光背の★、正面に「なら下御門 宗貞大仏師作」の墨書がある。
豊臣秀吉が発願し、京都方広寺の大仏を完成させたことで名高い椿井仏師「宗貞」の作であることが知られる。更に台座框に「西卯月廿一伝光御云々」とあり、本堂と共に造立されたと考えられる。